沈黙・サイレンス

晴れ
釧路は立派な雪国です。
そこら中行き場のない雪が積まれています。


↑−3.8℃   ↓−14.3℃     西   2.5m/s   湿度  55%


沈黙・サイレンス



月曜日に観に行く予定だったが、
大雪(吹雪)と葬儀疲れ(飲みすぎ)でいけなかった。


この映画の宣伝はかなり大掛かりにやっているようで
きっと大勢の人が観にいくのだろう。
でも、どうして今「沈黙」か?


この映画は「沈黙 SILENCE」という題名で1971年に映画化された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%88%E9%BB%99_(%E9%81%A0%E8%97%A4%E5%91%A8%E4%BD%9C)


この映画は、ぼくが高校生のときに観た。
原作も観る前に読んだ。

ちょうどその頃教会のなかに、高校生のための「聖書研究会」みたいなもの
があったので、その中で「沈黙」についていろいろ議論した。


実は原作の「沈黙」は教会内(偉いひとたち)で賛否両論があった。
作者の遠藤周作はキチジローのような弱い人の立場から神の意思を伝えようとしたが、
教会側の一部のひとは弱い人を肯定することになる(ということか?)から
やはり踏み絵を踏むのは良くない、
と言っていたのか。


高校生のなかでももっぱら議論の中心は
「自分だったら信仰を貫くために殉教できるか」ばかりで
だれもキチジローの味方などしなかった。
(随分前なので忘れてしまったが、もしかしたら味方はいたかもしれない)





そういう中で観た映画は、おおむね原作通りだったが、
棄教したロドリゴが日本人の女性と結婚して終わる、という場面に
どうしても納得いかないで、嫌な気持ちになったことを覚えている。
でもこれは原作の中にも書かれている・・・らしい、ことは後に知った。