沈黙2

晴れ

釧路は雪国になりました 写真。


↑−1.4℃   ↓−18.0℃     北東   2.1m/s   湿度  28%


湿度28パーセントだって!
すごいねー



今日は宿泊のお客さんがいなかったので、
急きょ「沈黙・サイレンス」を観にいくことにした。

下の鶴ヶ岱歯科のまえのバス停から、別保線に乗り釧路町のイオンまで。
途中、釧路町光和の住宅地を回って、行った事のない地域を走るバスでおもしろかった。


15:50からの上映。
観客は5人。室内寒い(温度が)。


映画の感想の前に、「遠藤周作にとってのカトリックキリスト教)とは」を
ぼくの感じたことを書きます。

彼は幼児洗礼を受けてカトリック教徒になる。
洗礼を受けた理由は、離婚で打ちひしがれている母に喜んでもらうため。
大学卒業後フランスに留学するが、そこで体験したキリスト教は、彼の持っていたキリスト教感とは随分違うものだった。
帰国後、彼なりの聖書の解釈をもとに、小説を書く。
それは弱いもの、虐げられたものこそ神の国に近い、ということ。

だから彼の小説は
1.弱いものへの理解(救済)
2.日本人のキリスト教は西洋のものとは違う
3.だからといって決してキリスト教そのものを否定していない。
4.人生において意図せず自分を横切ったものを受け入れる。
それらがモチーフになっている。




さて、これからは映画の感想です。


フェレイラ棄教の報を得てロドリゴらはその真実を知るためと、再度の布教のため密かに日本へ渡る。
そこで目にした隠れキリシタンたちの要求に一瞬戸惑いを見せる。



最後まで書くと、まだ映画を観てないひとに悪いのでここまで。



この「戸惑い」が重要なテーマになっている気がします。



えっ?   もしかしたら、この人たちの信じているものは
キリスト教ではない」のかもしれない
と。



それで彼ら(二人)はどのような行動に出たか。




映画が終わって、イオンの中でビールでも飲んで映画の余韻に浸ろうかと思っていたけど、
観ている内にすっかり身体が冷えてしまったのと、これから歩いて帰ることを思ったら、
さっさと帰ってビールにすることにした。


それでも帰る道すがら、いろいろと考えてしまった。



どうしてロドリゴやフェレイラらは、あそこまで命をかけて日本に渡ったか。
それは単なる信仰だけだったのか?
もしかしたら国家戦略ではなかったのか?
もちろん彼らにはないにしても。