冬への決別の儀式

午前中、雪。
昼過ぎから薄日が差してきた。

今週は天気が悪い予報。

隣の家のフキノトウはすっかり雪をかぶっている。
何を考えているのだろうか、雪の中で。
「ほら、言ったとおりだろ、まだ早いって」
「大丈夫だ、これで強い子孫が残るのだ」・・・などと。

今回の4月半ばの雪で
来年から芽を出すのはゴールデンウイーク頃にしようと
DNAにインプットされたのだろうか

そんなことはないでしょう
長い年月の進化の歴史のなかでは
そんなことはとっくに計算済みのはず。


地球温暖化、と叫ぶのはどこかの政府の陰謀か?



遠藤周作の「女の一生 キクの場合」を読み進んでいるが


女の一生〈1部〉キクの場合 (新潮文庫)

女の一生〈1部〉キクの場合 (新潮文庫)

遠藤周作のすごいところは、彼自身がカトリックの信者でありながら
過去の教会の過(あやま)ちを真っ向から取り上げているところ。

作品の中で、奉行所の役人とフランスの宣教師とのやりとり。

「プチジャン殿。それが迷惑だというのだ。日本をそっとしておいて頂たい。日本人はな、切支丹など知らのうても長い長い間充分、果報に生きてまいれた・・・」
「確かに西洋の国々には商いのため切支丹を伝えるため日本に参った人もいる・・・・・しかしそのかわり西洋の国々は日本までの道のり、唐、天竺(てんじく)のあちこちを攻めとり、おのが属国となし無法に、土地を奪うた。・・・日本はそれを恐れたのだ。日本は切支丹ゆえにこの教えを禁じたのではない。切支丹と共に日本を奪おうとする西洋の国々の野望を恐れたのだ」
 
・・・・プチジャンのかすれた声には幾分、自信のなさがあった。彼もロカーニュ神父も十六世紀、十七世紀の基督教国が東洋やアフリカを侵略し、植民地にしていったことを正しいとはどうしても思えなかった。そしてそれについて東洋人である本藤が非難するのを無理ないと考えざるをえなかった・・・・





近所の菌医協さんが今朝、夏タイヤに替えてしまったので、チャリで職場まで行ったという。
このに時期よくあるトラブルだ。

でも北に住む人にとって「夏タイヤ」への履き替えは
長い冬へのお別れの儀式でもあるのだ。
気持ちの切り替え。
キムヨナの指鳴らしのようなもの。
「さあ 栄光へのリセット」・・・・かな。



ぶらちゃり