あまり寒いので読書と音楽
晴れ。今朝の最低気温マイナス16.5度。
このような気温が毎日続くと、
家の中が冷え切って、少々の暖房では暖まらない。
続く、というのが一番こたえる。
今朝は休坂の前の道路に砂がまかれていた。
市役所がやってくれたのだろうか
細かい住民サービス。ありがたい。
おもしろい本がないなあ、と
改めてまた村上春樹を引っ張り出す。
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2000/05/30
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の「ノモンハンの鉄の墓場」と
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1997/09/30
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かつて日本がやった戦争が、いかに大量に無駄な戦死者を出したかという、
ノモンハン事件(戦争)を通して、戦争責任者の実態を暴くすごい小説。
もちろん「読みやすさ、面白さ」という意味でも優れている。
少し長いけど、暇だから書きます。
「辺境・近境」より「ノモンハンの鉄の墓場」から
・・・・ノモンハン戦争では・・・
日本人の非近代化を引きずった戦争感=世界観が、ソビエト(あるいは非アジア)という新しい組み替えを受けた戦争感=世界感に完膚(かんぷ)なきまでに撃破され蹂躙(じゅうりん)された最初の体験であった。しかし残念なことに、軍指導者はそこからほとんどなにひとつとして教訓を学びとらなかったし、当然のことながらそれとまったく同じパターンが、今度は圧倒的な規模で南方の戦線で繰り返されることになった。
ノモンハンで命を落とした日本軍の兵士は二万足らずだったが、太平洋戦争では実に二百万を越す戦闘員が戦死することになった。そしていちばん重要なことは、ノモンハンにおいても、ニユーギニアにおいても、兵士たちの多くは同じようにほとんど意味を持たない死に方をしたということだった。彼らは日本という密閉された組織のなかで、名もなき消耗品として、「きわめて効率悪く」殺されたいったのだ。そしてこの「効率の悪さ」を、あるいは非合理性というものを、我々は「アジア性」と呼ぶことができるかもしれない。
戦争が終わったあとで、日本人は戦争というものを憎み、平和を(もっと正確にいえば「平和であること」を)愛するようになった。我々は日本という国家を結局は破局に導いたその「効率の悪さ」を、前近代的なものとして打破しようと努めてきた。自分の内なるものとしての非効率性の責任を追求するのではなく、それを外部から力ずくで押しつけられたものとして扱い、外科手術でもするみたいに単純に物理的に排除した。その結果我々はたしかに近代市民社会の理念に基づいた効率の良い世界に住むようになったし、その効率の良さは社会に圧倒的な繁栄をもたらした。
にもかかわらず、やはり今でも多くの社会的局面において、我々が名もなき消耗品として静かに平和的に抹殺されつつあるのではないかという漠然とした疑念から、僕は(あるいは多くの人々は)なかなか逃げ切ることができないでいる。僕らは日本という平和な「民主国家」の中で、人間としての基本的な権利を保証されて生きているのだと信じている。でもそうなんだろうか?表面を一皮むけば、そこにはやはり以前と同じような国家組織なり理念が脈々と息づいているのではあるまいか。僕がノモンハン戦争に関する多くの書物を読みながらづっと感じ続けていたのは、そのような恐怖であったのかもしれない。この五十五年前の小さな戦争から、我々はそれぼど遠ざかってはいないんじゃないか。僕らの抱えているある種のきつい密閉性はまたいつかその過剰な圧力を、どこかに向けて激しい勢いで噴き出すのではあるまいか、と。
そのようにしてニュージャージー州プリンストン大学のしんと静まり返った図書館と、長春からハルピンに向かう混雑した列車の中というまったくかけ離れた二つの場所で、僕は一人の日本人としてだいたい同じような種類の居心地の悪さを感じ続けることになった。さて、我々はこれからどこに行こうとしているのだろう?