濃霧が気力をうばいとる。

風の街、釧路。
「世界三大夕日と皮膚にピリピリと突き刺さる風を楽しみに来ませんか?」
というキャッチフレーズが作れそうだ。


↑4.1℃    ↓2.3℃    西 23.1m/s(瞬間最大)   湿度43%



裏春採湖。



前に挽歌物語を読んで、釧路の「その頃」に興味がわいてきた。

この小説は原田康子のルーツ(曾父?)の頃の釧路が舞台だ。

海霧(上) (講談社文庫)

海霧(上) (講談社文庫)


文中より:

北海道と名をあらためた広大なエゾ地の中で、佐賀藩の支配地となったのは釧路国の三郡、すなわち厚岸、釧路、川上郡である。佐賀藩が三百名に近い移民団を支配地に送り込んだのは、あくる明治四年である。
・・・・・
佐賀藩では家業の基礎が固まるまで、移住者全員に米塩を支給する約束をなしていた。支配地の返却がきまったあとも(明治政府の廃藩置県による)約束は果たされていたが、当の移民が入植の意志を失っていた。春のおとずれと同時に、沸くように海から押し寄せた濃霧が、人びとの気力をうばいとるもとになった。





札幌移住を希望する人が多く出た、とある。
この現象は現在でも変わっていない。
定年退職して、ある程度の財産のある人は、さっさと家を投げ捨てて札幌の高層マンションに移り住む。

原田康子自身も(夫の転勤とは言うが)札幌に移り住んでいる。
「挽歌物語」を読むと、あまりにも本が売れすぎて、最初は賛辞だったものが、その内誹謗中傷も出てきて釧路に住みづらくなった、とも書いてあった。