買い物難民を作ったのは自分たちだった
曇り。嵐の前の静けさ。
気温+2.7度 最低−4.9度。
前の雪はすっかり解けているので、チャリで買い物にいける。
オレショ閉店で騒いでいるが、実は小さな店だったら近所にあるのだ。
ただ大手スーパーの品揃え、品質になれてしまうと、やはり見劣りする。
ついつい大手スーパーに行ってしまう。
今日は富士見の全日食チェーン店に行ってクリスマス用のイチゴなどを買ってきた。
それと今日はタラ入りの湯豆腐にしようと思って、その店でタラを探すがない。
帰り道、同じ富士見のガソリンスタンド前の店に入る。
タラが一本ままで売っている。
大きいのを半身でいいのだけど、と言うと、じゃあこれ、とポンタラ(小さいタラ)を勧めてくれる。店が暗いので生きがいいのかどうかわからない。
経営しているのは、かなり高齢のご夫婦ともう一人高齢の男性。
よく見回すと品そろえも多い。
贅沢を言わなければここで充分に足りる。
ただねえ、「疲弊している」という雰囲気なんだよねえ。
おの大手スーパーの電球でキラキラ光って、いかにも生きの「よさそうな」陳列に慣れると、ちょっと厳しいかなあ。でも品はあまり変わらない。
そこで思った。
買い物難民を作ったのは実は自分たちなんだと。
昔ながらの商店をもう一度見直して、なんでもかんでも欲しがらない、店の人との会話を大切にすれば、使いやすい店になるのではないかと思うが、
残念ながら、どの店の経営者も高齢なのだ。
最近、駅前の喫茶店を釧路公立大学の学生が共同出資してカフェを始めた。
あの大学は経済を教えているので、実践教育、ということなのか。
http://interush.net/mmb_detail.php?id=82929
だったら、地域の八百屋などやってみたらどうだろう。
幸いなことに、閉店した空き店舗はそこらじゅうにある。