宗教の役割

今日も朝から強風。天気は晴れ。
天気予報だと寒さが戻る、というが
確かに寒いが風は春のもの。

チャリで走っても気分がいい。
やはり歩くより数段楽だ。

歩くのも忘れずに。


遠藤周作にはまってしまった。
沈黙

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

わたしが・棄てた・女

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私にとって神とは

三冊一気に読んだ。
高校時代に戻ったようだ。
カトリックに疑問を持ち始めた頃の記憶がよみがえる。

それはそうだ「遠藤周作」を読んで疑問を持ったわけだから。

「神父によっては、遠藤の本は読むな、と言う人もいる」
との事。もっともだと思う。



神は「働き」だという。
まったく無意識にする行動、考えなど。
なぜだったのか?と後で考えると説明のつかない働き、これが神の仕業。

村上春樹は同じように、このような働きのことを
「人類先祖から受け継いだDNA」だと言っていた。

共通するものがあってうれしい。



かつて日本にキリスト教が入って来た時
信じる理由は、現世の苦行から逃れるため、や
ご利益なども求めたのかもしれない。

しかし現在の、一応物質に恵まれた時代にこそ
遠藤周作」がいうキリスト教などの宗教が必要なのかも知れないと思った。

いい仕事につけますように、とか
家族が安泰でありますように、とか
天国にいけますように、とかではなく

全て神の仕業、意味のある事なのだと知る幸せ。
これが宗教の役割かもしれない。



こういうことをこのブログに書くのはどうか、とも思ったが、
もしかつての僕のように宗教「キリスト教」に絶望している人がいたら
ぜひとも読んで欲しい作家だと思う。

問題は「求めている人が教会に行っても、入り口で帰ってしまう(教会の)体質」
だとも言っていた。