宗教の役割
今日も朝から強風。天気は晴れ。
天気予報だと寒さが戻る、というが
確かに寒いが風は春のもの。
チャリで走っても気分がいい。
やはり歩くより数段楽だ。
歩くのも忘れずに。
遠藤周作にはまってしまった。
沈黙
- 作者: 遠藤周作
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1981/10/19
- メディア: 文庫
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私にとって神とは
三冊一気に読んだ。
高校時代に戻ったようだ。
カトリックに疑問を持ち始めた頃の記憶がよみがえる。
それはそうだ「遠藤周作」を読んで疑問を持ったわけだから。
「神父によっては、遠藤の本は読むな、と言う人もいる」
との事。もっともだと思う。
神は「働き」だという。
まったく無意識にする行動、考えなど。
なぜだったのか?と後で考えると説明のつかない働き、これが神の仕業。
村上春樹は同じように、このような働きのことを
「人類先祖から受け継いだDNA」だと言っていた。
共通するものがあってうれしい。
かつて日本にキリスト教が入って来た時
信じる理由は、現世の苦行から逃れるため、や
ご利益なども求めたのかもしれない。
しかし現在の、一応物質に恵まれた時代にこそ
「遠藤周作」がいうキリスト教などの宗教が必要なのかも知れないと思った。
いい仕事につけますように、とか
家族が安泰でありますように、とか
天国にいけますように、とかではなく
全て神の仕業、意味のある事なのだと知る幸せ。
これが宗教の役割かもしれない。
こういうことをこのブログに書くのはどうか、とも思ったが、
もしかつての僕のように宗教「キリスト教」に絶望している人がいたら
ぜひとも読んで欲しい作家だと思う。
問題は「求めている人が教会に行っても、入り口で帰ってしまう(教会の)体質」
だとも言っていた。