日ハム優勝パレード

晴れ。
今日の最低気温はマイナス7.4度。
一気に寒くなった。


今日は札幌で日ハム、パリーグ優勝パレードがあった。
沿道の観客は11万人。
同じく巨人も東京で優勝パレードをやったらしいが
こちらの観客は32万人。

これでようやく野球シーズンが終わった。
また来年。



・・・・女子と鉄道

女子と鉄道 (光文社文庫)

女子と鉄道 (光文社文庫)

読み終えた。

この本のなかでいちばん読みたかったのは
酒井順子の鉄道に対する思い。
順子さんの本心・・・といったものか。

付き合っている彼女が、自分のしらないモノに興味を持ったとき
今まで気がつかなかった一面を探り出すような気分。

と言うのも、順子さんが旅好きは知ってはいたが
いわゆる鉄ちゃんの世界は彼女にはまったく似つかわしくないと思われ
「あんなチェックのネルシャツ男なんて・・・」
とでも言いそうな雰囲気だから。


でもやはり彼女も、自分がひそかに「鉄好き」なことは
日常の知り合いには隠したかったらしく、その素振りは見せなかったとある。


といいながら鉄にひかれる自分っていったいなんだろうと
分析しつつ書かれた本、のような気がする。


すこし長いけどその部分を引用してみます。


・・・なぜ私は鉄道が、を一言であらわすならば、
「どこかに連れていってもらえるから」
ということになる。
 私はとても依存欲求の強い性格で、「やってもらう」とか
「連れていってもらう」のがだい好き。
あ、「おごってもらう」とか、単なる「もらう」のも好きですもちろん。
 子どもの頃は、ですから車に乗る感覚も、嫌いではなかったのです。
父親が運転、母親が助手席、子どもは後部座席。後部座席において、
家に着くまでゴロンと横になって寝るというのは、子どもの特権でした。
私は本当になーんにも考えずに、起こされるまで寝ていればいいのです。

 しかし大人になるとそういうわけにはいきません。私は一応運転免許証を持っていて、
かつてちょこっと運転したこともあるのですが、「自分のミス一つで人を殺しかねない」
と思うとゾッとして、さっさと運転は引退。
 自分が運転していない時も、ボーっとはしていられません。
ボーイフレンドが運転する時は、助手席でナビをしたり、ガムを差し出したり、
しりとりしたり、喧嘩したり。
皆でドライブという時も、誰かに運転してもらっている立場としては後部座席で横になるわけにはいかず、
必死で起きていなければならない。
大人になると、車に乗るにも何らかの責任が伴なうのです。

 その点鉄道は、私が何をしようと、いつでもどこかに「連れていって」くれます。
初めて乗る線の始発駅に立って、まだ行ったことのない行き先表示を掲げた列車を前にすると、私はいつも、
「この列車は、私を本当にここまで連れていってくれるのだなぁ。何だか夢見たいだなぁ」
と信じられないような気分になりますが、列車は本当に、乗りさせすればだれであっても
平等にどこかに連れていってくれる。
終着駅で降りてもまだ私は、「夢みたいだなぁ」と思うのです。

 列車で寝ることによって得られる幸福感は、ですから子どもの頃、
父親が運転して母親が助手席に座る車の後部座席で寝ていた時の幸福感と、
通じているのです。全てにおいて自分で責任を取らなければならなくなった今、
私はほとんど胎内気分で、鉄道に乗っているのだと思う。

 鉄道ファンに男性が多いのは、鉄道が母性的な乗り物であるが故、でしょう。

 しかし女性の男性化が進む今、女性も母性を求めたいのです。
妻とか風俗とか、男性にとって母性の代替となる存在はたくさんあるのに、女性にはない。
そう思うと鉄道は女性にとってこそ必要な乗り物なのであり、
列車で寝るという行為は、下手なエステやマッサージよりうんと心身の為になるのではないか。
・・ちょっと無理矢理ではありますが、わたしはそう信じて、鉄道に乗り続けているのです。


以上「女子と鉄道」40ページより引用。